飯盛山香積寺(愛知県豊田市)で御朱印と御朱印帳を授かりました。紅葉スポットとして知られる香嵐渓のお寺です。
香積寺の参道入口。石段を上って山門へ向かいます
紅葉(香嵐渓もみじまつり)の時期に何度か参拝経験があるのですが、御朱印を頂くのは今回が初めて。
落ち着いた雰囲気の中、ステキなお参りができました!
山門に到着。モミジが美しい
この記事には、
- 香積寺の御朱印と御朱印帳
- 御朱印の頂き方(金額など)
- 境内の様子や見どころ
といった情報をまとめておきますね。まずは香積寺で授かった御朱印から紹介します。
目次(もくじ)
香積寺(豊田市)の御朱印
中央の印影(朱印を押した跡)は”仏法僧宝”。仏法で重んずる仏と法と僧(=三宝)を表す印です
香積寺で授かった御朱印です。目の前で丁寧に書いていただきました。香嵐渓の文字も見えますね。
なお、右上の印影は「一顆明珠(いっかみょうじゅ)」。仏教用語で”一個の光る玉で、一点の曇りもないこと”すなわち真理を表すようです
御朱印の見方(=何が書いてあるのか)について、神社とお寺それぞれの具体例をあげながらまとめました。御朱印初心者の方の参考になれば幸いです。
香嵐渓の紅葉と待月橋
今では全国的な紅葉の名所となった香嵐渓。寛永11年(1634年)頃に香積寺の三栄和尚が、巴川沿いの参道にモミジを植えたのが始まりなんだとか。
香嵐渓の「香」は香積寺からとったそうですよ(「嵐」は嵐気から。”青々とうるおう山気”という意味)。
香積寺(豊田市)の御朱印帳
香積寺ではオリジナルの御朱印帳も授かりました。金色のもみじが印象的な、高級感あふれるデザイン。お代(料金)は2000円です。
僕が授かったのは緑色。ほかに紺色と小豆(あずき)色もありました
御朱印帳について、2つほど簡単な補足をしておきますね。
御朱印帳は大きいサイズ
香積寺(左)と猿投神社(右)の御朱印帳
香積寺の御朱印帳は大きいサイズ(大判サイズ)。大きさのイメージが掴めるよう、小さいサイズの御朱印帳と並べてみました。
※御朱印帳のサイズ(大きさ)についての特集記事を以下にご用意しています御朱印帳のサイズは大きく分けて2種類。「それぞれの呼び方・大きさ(cm)」と「御朱印巡り初心者にはどちらのサイズがおすすめか」を紹介します。
猿投神社で授かった御朱印と絵馬。御祭神はヤマトタケルの双子の兄・大碓命です
小さいサイズの御朱印帳は、猿投神社で授かったモノ。香嵐渓から車で25分ほどです。お参りしたときの様子は以下からどうぞ。
猿投神社(愛知県豊田市)で御朱印と御朱印帳を授かったので、頂き方(時間など)や境内の様子・見どころとともに記事にまとめました。三河国三宮です。
御朱印帳が分厚い!
香積寺(左)と犬山寂光院(右)の御朱印帳
そして、香積寺の御朱印帳は分厚い! 一般的な御朱印帳は11山(22ページ)程度なのですが、香積寺のソレは24山あるんです。倍以上だぁ。
片面だけで49体の御朱印を書いていただける計算に。お値打ち感がスゴい
比較対象にさせていただいた寂光院(犬山市)の御朱印帳です。かわいい
ちなみに犬山寂光院の別名は「尾張のもみじでら」。こちらも紅葉の名所です。御朱印を頂いたときのことは以下の記事にまとめてありますよ。
継鹿尾観音 寂光院(愛知県犬山市)で3種類の御朱印と御朱印帳を授かったので、もらい方(時間など)や境内の見どころとともに記事にまとめました。
さて、宿泊施設の広告を挟んだのち、香積寺での御朱印のもらい方についても触れておきます。
広告は、僕が地方から香嵐渓に観光するならココに泊まるなぁという豊田市駅前の「ホテルトヨタキャッスル」。立地・料金・口コミ評価のバランスが決め手ですね。
香積寺(豊田市)での御朱印の頂き方
香積寺の本堂。屋根が大きく、飯盛山を彷彿とさせます
御朱印の受付場所
写真右の建物が庫裏。左は本堂です
香積寺の御朱印は庫裡(本堂右)でいただきました。授与所スタイルになっていたので、御朱印初心者の方でも安心かと。
御札やお守り、おみくじの取り扱いもありましたよ
御朱印料(金額)
御朱印代(値段)は300円。観光地の香嵐渓内にあるお寺なので、小銭を作る(お札を崩す)場所には困りません。
三州足助屋敷・檜茶屋の五平餅(330円)
参考までに、お寺の近くで頂いた五平餅をご紹介。小腹を満たすのにちょうど良いサイズで、大変美味しゅうございました。
僕が御朱印を頂いた時間
手水舎。これまでにお参りした寺社の中でもトップクラスに入る、趣の深さでした。おすすめ
お寺に着いたのは平日の午後2時半ごろ。本堂でお参りしたのち庫裏に向かい、御朱印を頂いた次第です。
お堂を見て回るのにかかった参拝所要時間は30分弱といったところですね。ご参考までに。
お寺の由緒を挟んだのち、ココまでに載せきれなかった香積寺の境内風景(フォトギャラリー)をお届けします!
本堂の扁額
- 応永34年(1427年):白峰禅師により足助氏の居館跡に開創
→足助氏一族の滅亡後に菩提を弔うために寺が創建された - 開基は二条良基、足助重範娘滝の方、成瀬三吉丸基久、基直等
- 山号(飯盛山)は山のカタチが満鉢の香飯に似ているところから名付けられた
→昔は堅固な地形を利用した山城で足助七城の主城だった(飯盛山城)
なお、山の名前は”いいもりさん”、お寺の山号は”はんせいざん”です
- 寺号(香積寺)は維摩経香積仏国品を典拠として名付けられた
- 歴代住職中、特に二十五世風外禅師は優れた人格と卓越した余技の書画でよく知られる
※頂いた由緒書きをもとに作成
香積寺(豊田市)の境内風景
- 本堂まわり(写真3枚)
- 飯盛山(写真5枚)
この2部作でお届けしますね。まずは、本堂まわりからどうぞ。
1.本堂まわり:豊栄稲荷大明神など【3枚】
1枚目は本堂脇の正一位豊栄稲荷大明神。香積寺が開創された際、境内鎮守の護法神として奉安された守護神です。
足助の発展とともに、五穀豊穣や商売繁栄などのため、お参りが盛んになったとありました。
豊栄稲荷神社(渋谷区)にお参りしたのを思い出しました。初見で”豊栄(とよさか)”は読めなかった
続いて鐘楼。木の部分も鐘のカタチをしています。なんだか可愛い。
3枚目は僧堂(坐禅堂)。本堂左です。中に文殊菩薩様がいらっしゃいました。
江戸後期の様式で、この地方では唯一、昔のままで残っているとのことです。そして、本堂と僧堂のあいだには…
「飯盛山 山頂へ約15分」の案内が。せっかくなので登ることに。ということで引き続き、山頂までの見どころをお届けします。
2.飯盛山:本堂から山頂へは約15分【5枚】
1枚目は弘法大師堂。先ほどの案内板の近くです。お堂の前で合掌し、いざ散策路(登山道)へ。
少しのぼったところに豊栄稲荷の奥之院らしき祠がありました。
正一位の称号(神号)は天保2年(1831年)11月8日、二十四世棟嶽禅師の代に授かったそうです。
後ろを振り向くと、香積寺の本堂が。やっぱり屋根が印象的。こんもりしています。
4枚目は鈴木五代の墓。室町時代から戦国時代にかけて足助城に在城&この地方を領有していた鈴木氏五代の墓です。
鈴木氏と足助城の歴史を以下にまとめておきますね。現地の立札(足助町文化財保護委員会)を参考にしています
足助城(真弓山城)で頂いた御朱印(御城印)
- 大永5年(1525年):松平清康が足助城に攻め寄せる。城主・鈴木重政は清康の妹を嫡子越後守重直の妻に契約して麾下に属する
- 天文4年(1535年):守山崩れで清康が暗殺され、鈴木氏は松平氏から独立。重直の妻・久子を岡崎に送り返す
- 永禄3年(1560年):桶狭間の合戦後、徳川家康が三河平定に乗り出す。鈴木氏はふたたび松平氏に従属することに
- 元亀2年(1571年):武田信玄が三河に乱入。足助城をはじめ、付近の諸城は全て落城した。足助城代は下条伊豆守に
- 天正元年(1573年):家康の長男・岡崎三郎信康が足助城を攻略。鈴木氏に城を与える
- 天正9年(1581年):鈴木氏が第二次高天神城の戦いに同族・加茂郡小原城主の鈴木越中守重愛とともに参戦。活躍する
- 天正18年(1590年):家康の関東入国に伴い足助城は廃城に。鈴木氏も改易となる
最後は飯盛山頂の展望台。案内どおり15分ほどでの到着です。充実感溢れるお参り&登山となりました!
先日登った東谷山(名古屋市で一番高い山。山頂に尾張戸神社が鎮座)よりもスムーズに行けた気がするなぁ。標高は飯盛山が254m、東谷山は198mです
旅行関連の広告を再度挟んだのち、香積寺の基本情報(アクセス・駐車場など)を紹介して記事を締めます。
広告はクラブツーリズム。御朱印関連はもちろん、香嵐渓の紅葉も魅力的です。バスツアーなら、渋滞のストレスもグッと軽減されますよね。
香積寺(豊田市)のアクセス・駐車場など
・住所:愛知県豊田市足助町飯盛39
・電話:0565-62-0267
・アクセス:一の谷口バス停(名鉄バス/とよたおいでんバス)から徒歩7分
・駐車場:香嵐渓駐車場(有料)を利用
上の写真は足助八幡宮向かいの宮町駐車場。駐車料金は1回500円(11月は1000円)です。
おまけ!香積寺の帰り際、山門からの景色は格別です。門がまるで額縁のようだ…。
足助八幡宮で授かった2種類の御朱印
香嵐渓周辺ではほかに、3つの神社&お城の御朱印を授かることができました。下の神社史跡名をタップすると、関連記事に飛べますよ。
三河エリアの御朱印一覧
愛知県三河エリアの御朱印を市町村別に紹介しています。御朱印巡りにご活用いただければ幸いです。