なごやっくす(Twitter@goshuin_dash)です。
以前、猪子石神明社で御朱印を授かった際、名東区内にもう1つ神明社があることを知りました。
ソレが今回紹介する藤森神明社です。
場所は東名高速道路の高架すぐ近く。名古屋ICから少し北(小牧方面)に行ったあたりです
一の鳥居
ただし、一の鳥居があるのは高速道路とは反対側。
高速側に鳥居があると思い込んでおり、神社のまわりをムダに一周しました(笑)
奥に見える階段をのぼっていくと…
二の鳥居
上の二の鳥居に辿り着きます。
この記事には藤森神明社の境内の様子や由緒・御祭神などをまとめておきますね。
まずは御祭神から紹介します。
藤森神明社の御祭神
拝殿
■ 藤森神明社のご祭神
- 天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
- 豊受大御神(とようけおおみかみ)
※現地の石碑より。なお愛知縣神社名鑑(愛知県神社庁,1992)に記載の祭神は”豊受姫神と菊理姫命”です
藤森神明社の御祭神は天照皇大御神と豊受大御神。
伊勢神宮の内宮と外宮それぞれに祀られている神様ですね。
ざっくりと”神明社=伊勢神宮が勧請されてできた神社”ですので
日本国民の総氏神ということで、ご利益というよりも、毎日美味しいご飯が食べられることへの感謝をお伝えしましたよ。
藤森神明社の相殿神
本殿
■ 藤森神明社の相殿神
- 國常立尊(くにのとこたちのみこと)
- 菊理媛之命(くくりひめのみこと)
- 木花開耶姫之命(このはなさくやひめのみこと)
- 小碓之命(おうすのみこと ※ヤマトタケルの異称)
- 大山祇之命(おおやまつみのみこと)
- 迦具土之命(かぐつちのみこと)
※境内掲示をもとに作成
また藤森神明社にはご覧の相殿神も。
先ほどの二柱と同じ社殿(本殿)に一緒に祀られているはずです。
神様は”柱(はしら)”で数えます
現地の石碑によると、近代までは相殿神も本殿を離れた地に社を建てて信仰されていたとのこと。
藤森神明社の歴史を調べてみると、それらしき名前がいくつか出てきましたので、引き続き神社の由緒について触れますね。
藤森神明社の由緒
現地の石碑を拝見したところ、藤森神明社の由緒は…
- 棟札(むなふだ)に記されていたとされるモノ
- 尾張志(1844年成立)
この2つから得られる情報がメインでしたので、順番に紹介します。
1.棟札
手水舎
■ 棟札に記されていたとされるモノ
- 貞和3年(1347年)天照坐大御神社一宇再建
- 建徳2年(1371年)猿投大明神社修理
- 弘和元年(1381年)白山宮修理
- 他冨士浅間社・山神社・天道社建立再建修復
- 享保9年(1724年)神明/白山宮葺替
※現地石碑をもとに作成
棟札の記録を素直に受け取れば、藤森神明社は少なくとも1347年以前には存在していたことになりますね。
で、1.のアマテラスはそのまま現在本殿に祀られている天照皇大御神に対応。
2.の猿投大明神は相殿神の小碓之命に対応していそう。
というのも、猿投神社(豊田市)の御祭神が小碓之命の兄・大碓命だからです
で、白山宮(3)→菊理媛之命、冨士浅間社(4)→菊理媛之命、山神社(4)→大山祇之命にそれぞれ対応している、といった具合でしょうか。
これらの神様が月日を重ねるにつれ、一つの社で祀られるようになった。こう解釈できます。
2.尾張志
狛犬
【要約版】尾張志に記載されている内容
- 神明/白山相殿社として國常立尊と菊理媛命を祀る
- 張州府志によると、白山社は永享元年(1429年)の創建
→神明社相殿の記載がないことから、神明社は張州府志のあとに相殿か
張州府志は元禄年間(1688-1704)編集、宝暦2年(1752年)完成とされています
- 社説によると、昔は今の社地より20間(約36m)ほど西の低地にあった
- その場所はオチラ・ワチラ・ウニラ・ワニラなどと呼ばれていた
→延喜式神名帳に記載の和尓良神社に該当? - 境内の末社に猿投社があった
尾張志に記載されている内容を僕なりにまとめたモノが上です。
間違っているところもあるかもしれません。
ガッツリ読み込みたい場合は以下からどうぞ。
今は神明社ですが、尾張志によると白山社が歴史の中心になっているようです。
そして藤森神明社は延喜式内社の論社(≒候補)でもあります。
ちなみに、境内には上の石碑も。
真ん中の石塔に”和尓良以神舊墟”の文字がありました(舊は”旧”の旧字)。
この石塔を見ると、いかにも式内社っぽい感じがしますがどうなんだろう。手掛かりの絶対数が少なくて決め手に欠けるのかな
■ 名東区には”和爾良神社”もあります
なお、名東区には和爾良神社もあります。名前だけ聞くとこちらが式内社のような気もしますが、境内の由緒によると創建は文禄2年(1592年)とのこと。
延喜式は延長5年(927年)にまとめられていますので、時代のズレが大きいですね。
さて、藤森神明社のおもなお祭りの紹介と広告を挟んだ後、ココまでに載せきれなかった境内の様子(見どころ)を4枚の画像にまとめましたので、ソレを紹介して記事を締めますね。
【参考】藤森神明社のおもなお祭りなど
愛知縣神社名鑑
- 1月1日:歳旦祭(還暦者・厄年者の祈祷も)
- 1月14日:左義長(どんど焼き)
- 3月5日:祈年祭
- 7月:お天王祭
- 10月体育の日:例大祭(子供神輿)
愛知縣神社名鑑に記載の例祭日は10月10日です
- 11月23日:新嘗祭(慰霊祭)
- 12月28日:大祓
- 毎月1日:月次祭(9:30ごろ~)
参考:境内掲示、愛知縣神社名鑑
【画像4枚】藤森神明社境内風景
まずは英霊社。
現地の石碑によると、戦後に再建されて末社となったそうです。
続いて蕃塀(ばんぺい)。
昭和44年・45年に明治維新100年記念事業として、社殿などを一新した際に建てられた模様。
平成25年10月改修の文字も刻まれていました。
こちらのページによると、明治維新100年記念事業は東名高速道路開通の影響を多分に受けている様子。1968年(昭和43年)に岡崎IC~小牧IC間が開通しています
3枚目は社務所。
立派な造りですが、開くのは初詣のときなど限定で、御朱印はやっておられないとのことでした。
お参りの際、境内の掃除をされていた神社の方が声を掛けてくださって、いろいろとお話を伺うことができたんです。
最後4枚目は境内東のスペース。
奥に古札納所が見えます。
とてもキレイに整備されている印象だったのですが、神社の方は…
と仰っていました。
参拝客のことを素晴らしく考えてくださっているのが分かって、お話を聞きながら感動してしまいました…。
おまけ!神社の向かいにある本郷公園です。
適度に広くベンチもあって、お参り後のひと休みにピッタリ。
僕もココで一息つかせてもらいましたよ。
藤森神明社のアクセス・駐車場
■ 藤森神明社(ふじもりしんめいしゃ)
・住所:愛知県名古屋市名東区本郷1-22
・旧社格など:村社、十二等級
・アクセス:本郷駅(地下鉄東山線)2番出口から徒歩6分
・駐車場:なし
本郷公園の南西にご覧のコインパーキング(三井のリパーク名古屋本郷1丁目第2)がありました。駐車料金は30分100円となっていましたよ。
ちなみに、藤森神明社の場所には藤森城が建っていたかもしれないそうです。
たしかに高台でした。
ただし遺構などは残っていないとのこと。
神社の由緒しかり、藤森城しかり。手掛かりが少ないぶん、妄想が膨らんで楽しいです
なお、冒頭に出てきた猪子石神明社では御朱印を頂けます。
藤森神明社から車で10分。
藤森神明社と同じ方達で、境内の手入れなどを行なっているそうですよ。
猪子石神明社(愛知県名古屋市名東区)で4種類の御朱印を拝受したので、頂き方(場所・値段・時間のめやす)とともにまとめました。名古屋のイノシシ神社として知られ、境内には、耳の神様・龍耳社や「おしりに関わる」痔塚神社も鎮座しています。
藤森神明社周辺の御朱印寺社
景行天皇社(長久手市)の御朱印
- >>景行天皇社(車で8分・写真入りの珍しい御朱印を拝受)
- >>白山宮(車で20分・境内社のサッカー神社「足王社」も人気)
- >>覚王山日泰寺(地下鉄で6駅・日本で唯一の超宗派寺院)
- >>丸山神明社(地下鉄で6駅・池下駅南。気持ちの良い空間でした)
名古屋市の御朱印一覧
名古屋市の御朱印をエリア別に紹介しています。御朱印巡りにご活用いただければ幸いです。