毘森神社(愛知県豊田市)

毘森神社(愛知県豊田市)にお参りしてきました。名鉄豊田市駅から徒歩15分での到着。読み方は「ひもりじんじゃ」です。

舞殿形式の拝殿(挙母神社・児ノ口社・小坂神明社・若宮八幡社)

毘森神社周辺の神社の拝殿。左上から時計回りに挙母神社児ノ口社若宮八幡社小坂神明社です。神社名をタップするとサイト内のお参り記事に飛びます(以後も同様です)

豊田市駅・新豊田駅周辺は、上のように拝殿が舞殿形式(神楽殿のようなカタチ)になっている神社が多く、

ぼく(なごやっくす)
毘森神社も同じようなスタイルなのかな?

と気になったのが、お参りのキッカケ。この記事には、毘森神社の境内の様子や御祭神・由緒をまとめておきますね。

毘森神社(愛知県豊田市)鳥居

鳥居はこんな感じ。新調されて間もないのか、注連縄(しめなわ)がキレイに映えておりました。


【やっぱり】毘森神社の拝殿も舞殿形式だったよ

毘森神社(愛知県豊田市)境内

鳥居をくぐると目の前には広大なスペースが。歩くときに響く「ジャッ!ジャッ!」という砂利の音が心地良かったです。

ぼく(なごやっくす)
砂利の音って、頭の中のノイズをかき消してくれる気がするんですよね。科学的に証明されてたりしないのかな

毘森神社(愛知県豊田市)拝殿(舞殿形式)

そして、毘森神社の拝殿もご覧の舞殿形式でした。愛知縣神社名鑑の毘森神社(特殊神事)の項に「子供囃子」とあります。ココで囃子が奉納されるのでしょうか。

【参考】毘森神社の特殊神事(神賑行事)

  • 七度詣り
  • 子供囃子
  • 昼煙火

参考:愛知縣神社名鑑(愛知県神社庁,1992)

奥に神門が見えていましたね。進んでみましょう。

毘森神社の御祭神は弥都波能売神(ミヅハノメ)

毘森神社(愛知県豊田市)神門

こちらが神門。扉の向こうに賽銭箱があったので、ココからお参りしました。緑(青)色がかった瓦がイイですね。名古屋城を思い出します。

名古屋城の御朱印(御城印)

ちなみに名古屋城でも御朱印(御城印)を授かれるんですよ。詳しい情報は以下の記事にまとめてあります。

と、それはともかく、毘森神社の御祭神は弥都波能売神みつはのめのかみ(ミツハノメ・ミヅハノメ・ミズハノメとも)。

神社検定公式テキスト(神話のおへそ)によると、伊邪那美命いざなみのみこと火之迦具土神ひのかぐつちのかみを産んだ際に体調を崩して亡くなるのですが、弥都波能売神はそのときに生まれた”水の神様”とされています。

【補足】愛知縣神社名鑑にはさらに三柱の記載も

毘森神社(愛知県豊田市)本殿・覆殿

毘森神社の本殿・覆殿

【参考】愛知縣神社名鑑に記載の御祭神

  • 天吉葛神(あめのよさつらのかみ)
  • 植山毘売神(はにやまひめのかみ?)
  • 川菜霊神

※弥都波能売神も記載されています

なお愛知縣神社名鑑にはミツハノメのほかに上の三柱の記載も。天吉葛神と植山毘売神はミツハノメと同じ流れで生まれた神様でよろしいかと。

ぼく(なごやっくす)
植山毘売神は日本書紀に登場する”埴山姫(土の神様)”かな。天吉葛も日本書紀の同じ段(第五段)に出てきます

で、川菜霊神については、越中一宮・高瀬神社(富山県南砺市)の公式サイトに以下の記載を見つけました。

命のむすび 鎮火祭(二~三月)

(中略)火の神・火産霊神(ほむすびのかみ)を迎えてお祭りをしますが、この神様が生まれるとき伊奘冉尊の陰部が焼け、それが原因で母神は亡くなってしまいます。そこでこの神を祀るときは、庭で火を焚いて瓠(ひさご)の水と粘土を掛け、川菜(芹など水に生える草)を上に置くことになっています。

出典:高瀬神社|神のまにまに

高瀬神社(富山県南砺市)拝殿

高瀬神社(富山県南砺市)の拝殿

火の神・火産霊神ほむすびのかみは、先ほど登場した火之迦具土神ひのかぐつちのかみと同じ。コレをふまえると、川菜霊神もほかの三柱と深いかかわりを持つ神様だと言えそうですね。

ぼく(なごやっくす)
また大阪天満宮境内の十二社に”川菜神”が祀られているとのこと。十二社には火産霊神・埴山比売神・天吉葛神も祀られているので、ココでも何かしらのつながりを感じます

引き続き、毘森神社の由緒(歴史)についても触れておきます。

毘森神社の由緒:源義経の家臣・篠田源之進勝善が創建

毘森神社の狛犬(神門前と鳥居前)

神門前の狛犬(左)と鳥居前の狛犬(右)

現地の石碑や愛知縣神社名鑑によると、毘森神社は源義経の家臣・篠田源之進勝善によって文治5年(1189年)に創建されました。

源義経を追っていたが、義経が奥州(東北地方)で戦死したため、この地に留まって大和吉野(奈良南部)から毘森明神を勧請したとのことです。

ぼく(なごやっくす)
挙母記などから推測するに”毘森明神=熊野権現“かなぁ。日本書紀第五段の一書に「イザナミを熊野の有馬村に葬った」という旨の記載があるので、毘森神社の御祭神とのつながりも説明できそうだし

篠田金太郎翁頒徳碑(豊田毘森神社)

境内には“篠田金太郎翁頒徳碑”なるものも。創建者の家系でしょうか。愛知縣神社名鑑に記載の宮司名は「篠田隆弘」さんですので、創建から現代まで世襲していてもおかしくなさそうです。

以下に、毘森神社の歴史を僕なりにまとめたモノを載せておきますね。さりげなく一度廃却されている…。

【要約版】毘森神社の由緒(歴史)

毘森神社(愛知県豊田市)神門の扁額

  • 文治5年(1189年)4月:源義経の家臣・篠田源之進勝善が鈴木重善(善阿弥)、鈴村善宗とともに、義経を追ってこの地へ
ぼく(なごやっくす)
鈴木重善(善阿弥)は挙母神社を、鈴村善宗は勝手神社(下林町)を創建したとも伝えられています
  • 義経が奥州(東北地方)で戦死したため、この地に留まることに
  • 大和吉野から毘森明神を勧請し、衣山之郷(西町付近)の総鎮守として旧字薬師(西町)に創建
  • 水害により小坂町11丁目(旧大字挙母字野田迫)に移る

愛知縣神社名鑑(愛知県神社庁)

愛知縣神社名鑑

  • 寛文6年2月:七町の庄屋百姓代が三河代官・鳥山牛之助に願い出て、小坂本町5丁目(常浄山/童子山)に移る
  • 安永10年(1781年)4月2日:挙母城築城の際、敷地に境内がかかるため現在地に換地して遷座
ぼく(なごやっくす)
挙母城があったのは、今の豊田市美術館あたり。敷地内に”挙母城跡”がありますよ
  • 明治6年(1873年)3月:額田県により挙母神社に合併される(廃却)
  • 同8年(1875年)12月26日:社殿(本殿/拝殿)を復旧し無格社となる
  • 昭和22年4月1日:旧社格廃止に伴い十四等級に
  • 昭和60年4月14日:社殿改築

参考:境内の社記碑、愛知縣神社名鑑

最後に、ココまでに載せきれなかった毘森神社の見どころ(境内の様子)を2枚の画像にまとめたので、ソレを紹介して記事を締めますね。

【画像2枚】毘森神社の境内の様子をお届けっ

梛(ナギ・豊田毘森神社)

1枚目は梛(ナギ)の木熊野速玉大社の御神木としても有名ですね。

熊野古道の大樹から苗木を授かって、区長宅の庭で22年間育てたものが奉納されているそう。毘森明神と熊野権現の深い関係性がココからも見出せるのではないでしょうか。

ぼく(なごやっくす)
ご利益は縁結び。ただし、ナギの落葉を拾わないとご利益がないとのこと。拾ってない←

毘森神社(愛知県豊田市)の見どころ(三河山鍬次郎像・殉国之碑・手水舎・三つ巴紋)

2枚目は欲張って4つのせます。それぞれ以下のとおりです。

  • [左上]三河山鍬次郎像
    “鳩山一郎書”と書かれていました。三河山鍬次郎については、書籍「豊田市史」などを当たってみましたが、詳しいことは分からずじまい
  • [右上]殉国之碑
    毘森公園内(鳥居の東側)にあった石碑。ココにも狛犬の姿が
  • [左下]手水舎
    管理の細やかさが窺える、キレイな手水舎でした
  • [右下]三つ巴紋
    中央に三つ巴紋が見えます。神紋ということでよろしいかと

毘森神社のアクセス・駐車場など

■ 毘森神社(ひもりじんじゃ)

・住所:豊田市小坂町1-42
・例祭日:4月12日

・アクセス

・駐車場:あり(毘森公園)

毘森神社(愛知県豊田市)駐車場(毘森公園)

公園の北と西、2か所に駐車場入口がありました。


毘森公園のプール横

おまけ!毘森公園は“おいでん花火”の穴場スポットとも言われているんです。プール横から豊田スタジアム(打ち上げ場所方面)を向いて撮ったのが上の写真。たしかに見晴らし良さそう。

ぼく(なごやっくす)
メイン会場とは駅を挟んで反対側になるので、屋台は楽しめませんけどね

挙母神社(愛知県豊田市)の御朱印

そして毘森神社の近くで御朱印を頂けたのは、途中でも名前の出てきた挙母神社ころもじんじゃ。お参りしたときの様子は以下の記事にまとめてあります。

【参考】そのほか毘森神社の近くで御朱印を頂けた神社仏閣

知立神社の御朱印と御朱印帳

  • 知立神社(名鉄で7駅・三河国二宮。御朱印帳の色合いが爽やかで◎)
  • 龍城神社(愛環で9駅・岡崎城本丸に鎮座。龍がカッコイイ御朱印帳も)
  • 三好稲荷閣(車で17分・ギネス世界記録認定の大提灯まつりで有名)
    ※隣接する満福寺でも御朱印を頂きました
  • 岩津天満宮(車で27分・僕が大学院入試の前にお参りした神社)

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