犬山神社(愛知県犬山市)にお参りしてきました。ハートの絵馬で有名な三光稲荷神社や針綱神社の向かいにあります。
犬山には犬山城&犬山城下町含め、何度も遊びに来たことがあったのですが、最近までココ犬山神社にはお参りしたことがありませんでした。
犬山神社一の鳥居
同じような方も少なからずいると思いますので、この記事に犬山神社の境内の様子や由緒・御祭神などをまとめておきますね。
犬山神社の御祭神:歴代犬山城主と戦没者の英霊
先ほど載せたのは一の鳥居。そして、ご覧の二の鳥居をくぐった先に拝殿(社殿)があります。ご祭神と合わせてご覧ください。
■ 犬山神社の御祭神
- 歴代犬山城主
- 戦没者英霊
祀られているのは、成瀬氏以降の歴代犬山城主と戦没者の英霊。拝殿の木札には第10代城主・成瀬正雄までの名前が掲げられていました。
こちらは戦没者英霊に関連して、境内に並んでいた忠魂碑(左)と平和塔(右)。平和を祈ります。以下に、第10代までの歴代犬山城主をあげておきますね。
【参考】歴代犬山城主(第10代まで)
国宝犬山城
- 成瀬正成
- 成瀬正虎
- 成瀬正親
- 成瀬正幸
- 成瀬正太(正泰)
- 成瀬正典
- 成瀬正寿
- 成瀬正住
- 成瀬正肥
- 成瀬正雄
そして神社を創建したのは、第4代犬山城主・成瀬正幸。ということで、次の章では犬山神社の由緒について触れていきます。
【補足】犬山遊園駅の近くに成瀬氏の菩提寺があります
ちなみに、犬山遊園駅近くの寺院・臨渓院は成瀬氏の菩提寺となっています。初代正成から四代正幸までの四基の墓碑が犬山城を眺めるようにして立ち並んでいました。
臨渓院では上の賑やかな御朱印も授かりましたよ。お参りしたときの様子は以下の記事にまとめてあります。
犬山神社の由緒:第4代城主の成瀬正幸が創建
犬山神社の本殿
愛知縣神社名鑑によると、犬山神社の創建は正徳6年(1716年)。犬山城第4代城主・正幸が城内の祖霊社を丸山新田に遷したのが始まりだとされています。
その後、明治16年に現在地に遷座、昭和23年には明治維新以後の戦没者を合祀し、今に至るとのことです。
【参考】犬山神社の由緒(歴史)
犬山神社の社務所
- 正徳6年(1716年):犬山城第4代城主・成瀬正幸が犬山城内の祖霊社を丸山新田東ノ洞相生山に遷す
→”相生社(相生の宮)”と称した - 享保2年(1717年):社殿建立
- 霊験あらかたな代々の祈願所だったとのこと
- 明治16年4月22日:今の社地に遷座し”犬山神社”に改称。村社に列格
- 大正15年10月19日:供進指定を受ける
- 昭和23年(1948年)11月29日:明治維新以後の戦没者371柱を合祀
参考:境内由緒、愛知縣神社名鑑(愛知県神社庁,1992)
なお犬山神社の境内とつながるように、上の犬山城前観光案内所があるのですが、ココは何を隠そう、犬山城の御朱印(御城印)の頒布場所。
御城印には成瀬氏の家紋(左・丸に酢漿草紋)も印刷されていますので、お参りの際に合わせて授かってみては。詳しくは以下の記事をどうぞ。
最後に、ココまでに載せきれなかった犬山神社の境内の様子を画像1枚に詰め込みました。それぞれ以下のとおりです。
- [左上]熱田神宮
境内社。”熱田社”でなく”熱田神宮“となっているのがカッコイイ - [右上]神馬
ガラス戸に守られており、覗き込むようにしてようやく神馬の姿が確認できるといった感じです - [左下]手水舎
残念ながら(?)、水は張られていない&蛇口にハンドルは付いていませんでした - [右下]北門
鳥居は境内東に。さらにもう1か所、西(犬山城第1駐車場)からも神社に入れます
犬山神社のアクセス・駐車場など
■ 犬山神社(いぬやまじんじゃ)
・住所:愛知県犬山市大字犬山字北古券12
・おもなお祭りなど
- 4月22日:例祭日・戦没者慰霊祭
- 7月15日:成瀬歴代城主大祭
・アクセス
- 名鉄犬山遊園駅から徒歩14分
- 名鉄犬山駅から徒歩16分
・駐車場:犬山城第1駐車場(1時間300円)が隣接
⇒[関連記事]【穴場あり】犬山城の駐車場を7つ紹介!城下町での食べ歩きにも便利
※僕が運営する姉妹サイト(教えたがりダッシュ!)の記事です
犬山城や三光稲荷神社&針綱神社へのお参り前後など、言葉を選ばずに言えば“ついで参り”しやすい場所にあるので、犬山にお越しの際は一度参拝してみてはいかがでしょうか。
以下の記事で犬山駅周辺の御朱印巡りモデルコースを紹介していますので、よろしければご覧ください。それでは!
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